今回は、週刊 ビジュアル「戦国王」の著者のお一人、
小和田泰経さんに、イチオシの武将を聞いてみました。
小和田さんのイチオシ武将誰ですか?
昔から、三好長慶(みよしながよし)という人が。
ちょっとマニアックですね(笑)
そう、マニアックな、ね。
なぜですか?
今、日本人に一番人気があるのは織田信長だと思うんですけど、
信長以前に、畿内を支配していたのが三好長慶だったんです。
たぶん、もう少し長生きしていれば、信長の天下はなかったんじゃないかな、
というくらい、
政治的にも、文化的にも優れていたので、
もしかしたら天下とってたんじゃないかなと。
三好長慶は天下をとろうとしていたんですか?
そうですね。
もともと "三好" っていうのは、
四国の阿波の、徳島のほうの「守護代」の家
だったんですけど、
そこの「守護」が細川でした。
「守護」はその土地を管理するお役人の親玉で、
「守護代」は守護の補佐役ですね。
その頃、京都には「管領(かんれい:将軍の補佐役)」の
細川政元(まさもと)という人がいて、
子供がいなかったんで、
支族だった阿波の細川家から澄元(すみもと)が養子に入るんですけど、
三好家(長慶の曽祖父・之長(ゆきなが))は、その細川澄元(すみもと)に
一緒にくっついてきて、
そのまま居ついて、
畿内で、幕府のほうにもちょっと影響を及ぼすようになって。
もともとの基盤はあったんですか?
いえ、もともとは何にもないよね。
小和田泰経(おわだやすつね)
1972年東京都生まれ。歴史研究家。専攻は日本中世史。主な著書に『戦国合戦史事典』(新紀元社)、『天空の城を行く』(平凡社)など。『信長戦国歴史検定【公式問題集】』(学研パブリッシング)・『真田三代戦国歴史検定[公式テキスト]』(ぴあ)など、検定問題の作成も多数。
じゃあ、下剋上?
そうそう、だから管領とも争って。
最後は主君である細川晴元(はるもと:澄元の子)という人に
三好長慶は仕えてたんですけど、
そこを、もう、凌駕して、
実質的に天下人になって。
ただ、早くに亡くなっちゃったんで、
そのあと、三好三人衆とか、信長と争っているのは、
その生き残りみたいな感じでしょうか。
彼らは信長と争って
結局追放されちゃうんですけどね。
※三好長慶は永禄7(1564)年 病によって43歳で亡くなる。
※三好三人衆:三好長逸・三好宗渭・岩成友通の3人。
三好長慶の死後に三好政権を支えた。
じゃあ、三好長慶は、あのあたりの混乱のはじまり?
そうそう、元凶ですよね。
元凶っていっちゃうんですね(笑)
元凶だとあまりよくない(笑)
でも、そんなところが好きだと
好きなんです。
どうやってのしあがっていったんですか?
他の人となにが違ったんですか?
”力”があったんですよね。いろんな能力的に。
軍事力だけじゃないですよね。
軍事力だけだったら全然勝てないんで。
それ以外の、ソフトなパワーをいろいろ持っていました。
それは、文化であったり、経済であったり。
畿内で石垣をつくった一番の先駆者
でもあったと思うんで、
先進的だった。革新的というか。
信長あたりの時代を、先取りしていたところがあるんですね。
うん。そうそう。
結局、信長はそれを真似てるんだよね。
へ~
三好長慶という存在がないと、信長がああいう形で京都に入ることもなかったということですよね。
そうそう。
※足利幕府を傀儡とした三好政権に対し、逃亡していた足利将軍家の義昭は、織田信長の援助を受け上洛を開始。足利義昭を擁した信長は、三好政権を破って上洛を果たし、京都をおさえた。
三好長慶が、他に時代を先取りしていたところは?
そもそも、
管領を、傀儡にしていた
という時点で、
当時としては、普通のことではないですよね。
本来ならば室町幕府を助けて、
というところを、
自分がのし上がっていって、実権握って、最後は
将軍追放とかしてるくらいなんで。
その後、どうしようとしてたのか、
興味ありますよね。
三好幕府開いたのかどうなのか、とか。
三好長慶の面白いところは他にありますか?
まあ、戦略的なところなんですよね。
それこそ、当時の畿内も混乱していて、
だれが敵か味方かも分かんない
ようなところを、
ちょうどうまい具合にぬってぬって、
ちょっと選択誤ったら殺されている
ような感じですよね。
戦国時代といっても、応仁の乱から150年とかあるんですけど、
結局人気のあるのは、終わりのほう
に集中してたりするんです。
その前ってあまり人気がない。
もう、複雑すぎて。
全然人間関係も単純じゃないし。
簡単には語れないんですね。
そう、一筋縄ではいかないところを、
うまく乗り越えてきている。
信長とか秀吉の時代になってくると、
もう、
一人を倒しちゃえば、だいたい、
敵もそれで服従するような感じですけど。
それ以前だと
誰が敵かは分かんないし、
どっから殺されるか分かんない。
それを生き抜いているだけ、たいしたもんだと思うんだよね。
だいぶ昔からすきなんですよね?
そうですね。ハイ。
いずれ、もう、
小説書きたいくらい。
それは楽しみですね!
まだ、あまり取り上げられることの少ない人ですよね。
そうそう、
そういう人のほうが楽しいじゃないですか。
有名な人より。
なんか、そういう、あまり知られてない人とか。
それで、魅力的な人とかも結構いるんでね。
そうなんですね!信長登場以前の戦国時代も興味深いですね。
また、知られざる名将について詳しく教えてください。
戦国王公式サイトで連載予定の、「戦国王テスト」も、
小和田さんが問題作ってるんですよね。
問題はどのように作成しているんですか?
今の日本史の、たとえば、大学入試の試験とかだと、
知ってるか知らないかの問題
が多いですが、
ほんとうは歴史を学ぶというのは、
そういうことじゃないと思うんです。
単に歴史的な用語を知ってるかじゃなくて、
なんでそうなったのとか、どうして、とか、
もうちょっと
考えるような問題にしたいな
というのがあって。
本当は、ね、選択肢を四つ並べて単語で選んでもらうのが
つくるのも一番楽だと思うんですけど。
でも、それだと、知ってるか知らないか。
それで終わっちゃうじゃないですか。
なので、もうちょっと、踏み込んで、
なんでそういうことになったのか。
そのとき、武将は何を考えていたのか、とか、
どうしてこういう行動とったのかとか、
テストを解いてる人に、
自分で考えてもらえればいいかなと。
そういうね。考えてもらうようなのを、
どんどん出していけるといいかなと。
そうですね。日本史の授業って、どっちかというと詰込み型になりがちですもんね。
つまんないですよね。あれが歴史嫌いを生んでるような気がする。
単語だけだったら調べりゃいいしね。
ウィキペディアで出てきちゃうじゃないですか。
何年に何があったとかも、
年表みれば載ってるわけですからね。
そういうの試験で出しても
仕方ないんじゃないかと思うんですよね。
今の時代、ね、すぐにパソコンで調べられるのに。
大学入試のテストも、そういう
考えるような問題にすれば、
解くほうも楽しいのに。
戦国王テスト、みなさんに楽しんで頂けると嬉しいですね!
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